向山洋一教育実践原理原則研究論文/ 6学年 社会 /討論の授業
          

討論の授業を支える微細技術

―原理原則と微細技術を使いこなす―

  岡山県津山市立北小学校    岡田健治

 向山実践から学ぶものにとって、誰もがあこがれる「討論の授業」。向山洋一教育実践原理原則シリーズ「討論の授業の第一歩」(明治図書)が、今、全国で大変な話題となっていることからもうなずけることです。
 「討論の授業の第一歩」では、「指名なし発表」などの学習システムの面からの切り口が画期的であったの意見を多くいただいています。そうした「システム面を確立した後、より知的で高度な討論が続くように教師がすべきことは何なのか」ということをご提起いただきくことにしました。
 本ミニ特集では、失敗事例や成功事例の分析などから、「討論の授業」を支える微細技術を抽出して明示していただきました。

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 「討論の授業をしたければ、まず、討論の授業を見なくてはならない。」これは、向山洋一先生の言葉である。まだ、討論の授業を見たことがない方は、向山洋一先生の授業ビデオを入手するのが最良の方法である。東京教育技術研究所(03-3787-6564)に問い合わせて「雪国のくらし」の授業ビデオを購入することをお勧めする。
 さて、ここでは「豊臣秀吉」を授業するとする。 私はまず、子ども達に「内部情報を蓄積させる」ようにする。これは、微細技術ではない。原理原則である。「これから15分間で豊臣秀吉についてノートに調べて箇条書しなさい。」と指示する。 子ども達は、秀吉の業績である「検地」や「刀狩」などや子どもの頃のこと、晩年のことなどどんどんノートにまとめていく。
 内部情報が蓄積されていないと、子ども達は、討論に参加できない。向山先生は、「工業地帯を教えるのに、工業地帯の体験がなくちゃ無理なんです。体験できないから、せめて、テレビやVT
Rで見せるんです。テレビで見せて、VTRで見せて、そういった情報がつまって、初めて授業ができるんです。そういった、子どもの体験にもとづいた形の中で、再構成していく、それが授業なのです。授業とは、子どもの内部情報をある視点から組み立て直し、より高度なものより高次なものにつくっていく作業なのです。」と述べている。 15分たったら、「机を話し合いの形に移動しましょう。」と指示する。お互いの顔が見えないと、討論はできない。
 そして、「先生は指名をしませんから、自分から立って発表してください。発表し終わったら、次のだれかが立って発表します。もしか、そのとき人がいっぱい立ったらば遠慮してすわってください。必ず発表できますから大丈夫です。どの人も必ず一回発表してもらいます。」と指示する。
 これは、社会科授業「水道」で向山先生が言った通りを追試したものである。「授業の知的組み立て方」(明治図書)に詳しい。子ども達は、どんどん立って発表するであろう。
 このシステムがスムーズに稼働しない場合は、

  教卓をどけて全員を黒板の前の広いところに体操座りさせてやってみる。

という微細技術をおすすめする。机がないという、インフォーマルな雰囲気がいいのか、発表が活性化するのである。また、声が聞き取りやすいというメリットもある。
 また、一足飛びにノートに調べたことを発表しにくい場合は、

  道徳のテレビやアニメのビデオを視聴した後、集めて感想を発表させる。

という微細技術も使える。それでも、恥ずかしがっていて、一向に発表者がいない時は、次のように指示して追い込む微細技術も効果的である。

  「今立って発表しない人は、後で原稿用紙にたっぷり書いて提出してください。」

 脅しと言えば言えなくもないが、子どもの無用な羞恥心を取り払うのには、何かのきっかけも必要なのである。消極的な6年の女子もどんどん自分から立って発表するのである。
 全員発表がすんだら、足軽の格好を描いた図を見せながら、「今川軍のスピードは、『桶狭間の戦い』のとき時速二キロです。信長軍は、『長篠の戦い』のとき時速四キロです。秀吉軍は、『中国大返し』のとき、時速十キロで岡山の高松から姫路まで移動しています。」と説明する。
 ここで中心発問である。
 「秀吉は、どのようにしてこのようなスピードを出せたのでしょうか。」 
 子ども達からは、「大勢に馬を与えて、馬に乗った武将を先に行かせたのではないか。」とか「船で近道した。」とか「道端の草や作物を食べさせて、食事の時間を節約したのではないか。」という予想が出た。
 ここで、大切なことは、「発表→討論→論争を区別する。」ということである。
 向山先生は『国語教育』372号で「四つか五つぐらいの意見が出される。最もちがうものを一つだけ選ばせ討論させる。(正しいと思うものを聞いていては、駄目だ。混乱する。)一つ一つ削除していって(整理していって)最後に残った二つの意見を論争させるのである。これなら、大きな論争になる。」
と述べている。
 また、石黒先生は「討論の授業を組み立てるためには、発表・討論・論争を区別することが不可欠である」と『討論の授業入門』(明治図書)で主張している。まず発表。そして、討論でつぶし合い、二つの対立する意見に絞る。それから論争である。
 私は、「船で近道」という意見を消して、残りの二つで論争させた。正解は、「道端の草や作物は食べていないが、こちらの方が正解に近い。実は、お握りを沿道の村人に準備させてマラソンの補給所のようにして走らせたんです。」と告げた。 ところで、過日、向山先生から微細技術を二つ教わった。「第三回ALL向山洋一エクセレント講座」の時である。(本年は、11月2日岡山市にて開催予定。問い合わせは、事務局センターまで)向山先生は、野崎史雄氏のVTR審査の際の「指名なし発表」が始まった局面で次の事を指摘された。 

  教師は子どもの視界から消える。

 私も子どもの視界から消えていなかった。その上、途中で嘴を挟んだりもしていた。全く、要らぬお節介である。討論が始まったら、とにかく「教師は、子どもの視界から消える」。そして、いくら指導したくても我慢するのである。

  聞いていない子、そっぽを向いている子どもに注意をさせる。

 例えば、「岡田君聞いてください。」とか「そうですよね。岡田君。」といった具合にである。子どもは、子どもに聞かせなくてはならないし、聞かせるのは発言している子の責任なのである。 これがあるからこそ、教師は口を挟まずに済み、かつ討論が全体のものになるのである。

 【出典:授業の原理原則トークライン24号】


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詳しくは、向山洋一教育実践原理原則シリーズ(明治図書)向山洋一監修 岡田健治・小林幸雄編集 向山洋一教育実践原理原則研究会著をご高覧ください。