向山先生のような討論の授業をしてみたい。向山実践を研究する者なら誰しも、このようなあこがれを持つのではないでしょうか。
そこで本特集では、「討論」の授業を支える「発問の原理原則」を研究したいと考えました。
討論の成立する「発問」の条件が、「発問の原理原則」となっていくでしょう。このような「発問」で、討論が成立するのではないかといった仮説を導き出していただきました。
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1.討論が成立する発問の条件
向山先生は、「国語の授業が楽しくなる」(明治図書)の中で、討論の集団思考が存在するには、つぎのような状態が必要となると述べている。
| @多人数が存在する。 (教室では当然である) A多人数は、ある問題を考えている。 (授業が成立している) Bある問題は、同一のものである。 (全員が同じ問題を考えているのである) Cみんな自分の考えを持っている。 Dその答えは、異なる集合に分けられる。 |
そして、向山先生は、この場合の教師の役割を二つ示している。
| 第一は、中心となる討論に耐えられる問題をとりあげることである。 第二は、異なる意見を対立する二つに整理することである。 |
この向山先生が示した、集団思考が成立する状態の中から、発問の条件を抽出すると次のようになる。
| A.すべての子どもが自分の考えを持てる。
B.答えが、異なる集合に分けられる。 C.中心となる教材の本質を突いている。 |
例えば、向山実践の四年豆電球実践に見る「A図とB図では、どちらが明るいですか。」という発問は、みんなが考えを持ち、異なる集団に分けられしかも、『電気が水のように上から
下に流れるのか、そうではないのか』と言う教材の本質を扱っているのである。
また、「ふるさとの木の葉の駅」の「この詩の三つの連の視点はどのように移動しましたか。図に書きなさい。」という発問も、激しい討論を生むが、これも上記の発問の条件を満たしているのである。

2.討論が成立した発問を再検証する
先日、1996年度6年生の一学期に行い討論が成立した発問を、本年度の6年生に試してみた。「源頼朝の挙兵」の授業である。
まず、次の板書をする。
(板書)
| 1180年8月 石橋山の戦い 平家3,000人 対 源氏300人 頼朝、安房国に落ち延びる源氏 7人 40日後 鎌倉に着く。源氏 30,000人 1180年10月 富士川の合戦 源氏 200,000人 |
そして、説明する。「伊豆に流されていた貧乏な流浪人の頼朝は、1180年300人の兵で3,000人の平氏と戦い敗れて、安房国に落ち延びます。その時の味方は、わずか7人。40日後に鎌倉に到着したときは、3万人。2カ月後の富士川の合戦では、20万人の味方で大勝利をおさめました。」私は、子ども達に「何か不思議なことはないですか。」と発問した。子ども達の中から、3〜4名挙手があり、指名すると「頼朝は、どうやってこんなに人を集めたのか。」とどの子も発言した。
そこで、私は、「 そうです。今みんなから出た疑問ですが…」と前置きして、
| 頼朝は、どのようにして兵を集めたのでしょうか。 |
と発問した。そして、すべての子どもが自分の考えを持てるようにするために、本年度は、次のような指示を付け加えた。
| もし、自分が頼朝だったらどのような方法をとるか考えて、ノートに書きます。
教科書や資料集、参考書など、何でも調べていいです。 |
子どもは、抽象的なことより身近で具体的なことに集中する傾向がある。そこで、「もし、自分が…」と付け加えたのである。
子ども達からは、「答えは、教科書や資料集に載っていますか。」という質問がかえってきた。私は、「かなり、強力なヒントが続々と出ています。」と答えた。
言うまでもなく、答えがすぐ教科書や資料集に出ていたのでは、討論にはならない。しかし、全く、何も出ていないのでは、取り付く島がないのである。子どもの集中は一挙に冷めるわけである。強力なヒントが出ているような問題が必要なのである。
そして、すべての子どもに自分の考えを持たすために、数分後、「全員起立。何か書けた人は、着席します。」と指示した。座れない子には、「周りの人と相談してごらん。」と指示した。これは、向山先生から教わった方法である。
全員座った所で、子ども達の意見を出させた。出てきた意見は、次のようなものだった。
@平氏に不満を持つ人にひたすらお願いして来て もらった。
…………28人
A脅かしてむりやり連れてきた。…… 4人
Bお金や物を与えた。 …… 2人
やはり、本年度も異なる意見が出た。一つ一つについて、賛成意見を出させ、しかる後に、反対意見を出させた。
そして、「答えが、対立する異なる集合に分けられる。」ように、次のように付け加えたした。
| みんなが言ったように脅かして無理やり連れてきても、人は動かないでしょう。Aは、違います。 @かBのどちらかが正解です。 どちらでしょうか。 |
これで、討論は、一層白熱してきた。
@派は、教科書のどこに出ているかを主張したし、B派は、お願いしたくらいで人は命懸けの合戦には参加しないと主張した。すると、@派は、流浪人で貧乏な頼朝が、20万人に与えられるほどの物やお金をもっているわけがないと反論した。すると、B派は、平氏の財産や土地を勝ったらやると言えばいいのだと反論した。
この答えは、少数派のBに軍配が上がる。頼朝は、自ら所領もない流浪人でありながら、多くの手紙を出して、土地の支配権を認めることを宣伝して多くの兵を短期間に集めたのである。これが、鎌倉幕府の骨格である「御恩と奉公」の原点なのである。
この発問は、歴史の本質的な中心部分を扱っているといえるのである。
いくら討論が白熱しても、瑣末な重箱の隅を突っついているようなことでは、時間の無駄となるのである。
引用文献:歴史誕生10(角川書店)
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詳しくは、向山洋一教育実践原理原則シリーズ(明治図書)向山洋一監修 岡田健治・小林幸雄編集 向山洋一教育実践原理原則研究会著をご高覧ください。